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意味するもの、意味されるもの

 言語学では意味されるもの・記されるもの(事物や事象)をシニフィエ、意味するもの・記すもの(言葉や文字等)をシニフィアンといいます。下の写真でいうとキュウリやトマトやひまわりなどの物がシニフィエ、キュウリ、トマト、ひまわりという言葉がシニフィアンです。そしてシニフィエとシニフィアンの関係は恣意的です。
 どういうことかというと、たとえば「あお」という言葉は「青」だけを表す場合もあれば「緑」も含んで「あお」ということもあります。
 「にじは七色」といいますが、世界中の人がにじを七色だと認識しているわけではありません。日本語には本来色を表す言葉はしろ・くろ・あか・あおの4つしかありませんが、黄色や紫を認識できていなかったわけではありません。言葉の示す範囲が違うのです。
 下の下の写真は捕まえたダンゴムシを見せに来ているところですが、ダンゴムシにせよ泥団子にせよ、大人から見ればどうしてこんなものをと思いますが、子どもから見れば不思議に満ちた宝物であったりします。同じ言葉を使っても見えている物は同じではありません。
 とくに子どもの場合は大人の基準で判断すると大きく間違えることがあります。子どもはちいさい大人ではありません。
 何が言いたいかわかっていただけましたでしょうか?
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