物の本によると英語で褐色を表すbrownと熊を表すbearは語源が同じなのだそうです。
元々は熊は別の言葉であったものが、そういってしまうと本当に熊がくるのではないかと恐れて「褐色のやつ」といっているうちにもともとの言葉が忘れられたようです。いわゆる言霊信仰ですね。
そのうちに言霊信仰が薄れるにつれてまた言葉が分かれてきたのだそうです。
7世紀の頃、一時期大阪に都が置かれた時期がありました。難波宮(なにわのみや)といいます。
そのころ淀川に大きな橋が架けられました。長柄の大橋といいます。もっとも今の長柄橋とは関係ありません。
淀川も今のようなおとなしい川ではなかったので大雨のたびに洪水を繰り返します。
だいたい流域も今とは異なります。地形の変化によって流れも変わるのが本来の川です。
さて、いかに立派な大橋とはいっても所詮は木造の橋です。洪水がおきればしばしば流されます。
その架け替えの普請は資金的にも労力の上からも人々の大きな負担になっていました。
ある時、橋の建造に人柱を立てて川の神を鎮めようではないかという話が持ち上がります。
言うのは簡単ですが、では誰が人柱になるかで決着がつかず、いつまでも評定が続きます。誰も死にたくはありませんからね。
話が暗礁に乗り上げたときにある長者が「袴の裾がほつれているものが人柱に立ってはどうか」と提案します。
該当者が一人だけいました。誰あろう言い出しっぺの長者です。
かくして哀れ件(くだん)の長者はみんなのために犠牲になることになりました。
ところでこの長者にはたいそう美しい一人娘がいました。この娘は嫁ぎ先でその話を聞き、悲しみのあまり言葉を発しないようになりました。
嫁ぎ先では「このような嫁はいらない」ということで暇を出されることになります。一人だけ娘の夫はかばい続けますが娘も里に帰って父親の供養をしたいという意向を示すので不承不承娘の里に送り届けることにします。
途中、枚方のあたりの葦原で雉(きじ)の鳴き声がします。雉はごちそうです。夫は葦原に分け入って雉を射殺します。
それを見た娘ははらはらと涙を落とし「もの言はじ 父は長柄の人柱 雉も鳴かずば 射られざらまし(もう何も言葉をいうまい。余計なことを言ったばかりに父は長柄橋の人柱になった。雉も鳴かなければ射殺されたりしなかっただろうに)」という和歌を詠みます。「雉も鳴かずばうたれまい」の語源とされています。信太(しのだ)の森の葛の葉(くずのは)伝説と並んで、大阪の悲しい昔話です。
今年はたった一言で世の中の空気はこうも変わるんだということを実感した年でした。
来年は言葉を謹んで余計なことを言わないようにします。
さて、明日は終業式です。今日は今年お世話になった机やイスやお道具棚を心を込めてきれいにお掃除しました。一年ありがとうね。
年長組さんは今年最後のドッジボール。
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